2026/04/01
心が深く負う傷は直ぐに癒えないけれど その悲しみの淵から私に呼びかけるものがある あなたはあなたでよいのだと気付いたときから生きられる このかけがえのない私に いのちが今きらめく どうにも押えられない憎しみはあるけれど 震える思いの中から私に問いかけるものがある あなた自身はどうなのかと問われたときから生きられる このかけがえのない私にいのちが今ときめく 辛い涙にくれる日は決して尽きないけれど 私が絶望しても私を見捨てないものがある 私を生かすはたらきに目覚めたときから生きられる このかけがえのない私にいのちが今かがやく いのちが今かがやく 作詞: 茨田 通俊 作曲: 清澤 久恵 https://www.youtube.com/watch?v=5VqxKntUL4c&list=RD5VqxKntUL4c&start_radio=1
仏さまはどこに? · 2026/01/01
本年もよろしくお願いいたします。 年が改まると、神社へ初詣に参るなどして、「こんな願いをかなえてください」「運勢はどうだろう」と祈ったり、案じたりするものです。その様相に、私たち日本人が大切にしてきた伝統風習・文化気質を感じます。無意識のうちに、お寺に参る際にも、神社で何かお祈りすることに近しい思いで手を合わせているのではないでしょうか。お寺にお参りした時、私が何か想う前に既に私のことを「待っていたぞ!」と言わんばかりに仏さまがこちらを見つめてくださっており、お花や本堂のお飾りもすべて私を歓迎してくださっている。仏さまが、こちらから何かお祈りをするしないに関わらず、お正月に限らず365日24時間、私のことを待っていてくださる意味をよくよく問うてみてはいかがでしょうか。 合掌【了】
仏事解説 · 2025/10/29
お内仏の前で手を合わし、お勤めをする際、ロウソクを立てているでしょう。一般的には白色のものを用いているかと思います。しかし、真宗では白色のほかに朱色のロウソクが用いられることが多くあります。明治時代に入る前には原材料や精製の問題から白い蝋燭は貴重で高価であった為、朱や黄みがかった色が一般的だったという歴史が背景にあったと考えられます。その歴史を正解とするのも良いですが、敢えて、白色ではなく朱色を用いる伝統を考えてみたいと思います。真宗ではほとんどの法要において朱色が用いられますが、お葬儀の後、四十九日までは白色が用いられます。大切な人を亡くした悲しみや寂しさに直面する四十九日の期間は、仏花といったお飾りは質素な色合いを用います。それは私たちの気持ちを表現しているカタチにほかなりません。四十九日が過ぎると、悲しみや寂しさの移ろいとともに、仏花やお飾りも徐々に華やかなものを飾ろうかという思いが発こってくることがあります。ロウソクも四十九日を過ぎると、白色ではなく朱色を用いることが勧められています。悲しみ寂しさが仏さまのお飾りとともに変化してゆくのです。合掌【了】
仏事解説 · 2025/09/12
「お彼岸」とは、春分・秋分を中日とし、その前後3日を合わせた7日間のことをいいます。2025年は、23日が秋分の日となるので、20日〜26日の7日間を「お彼岸」とします。昼と夜の長さがほぼ等しくなるこの時期、季節の変化を通して、古来より人びとは、心の奥底に、「一生の儚さ、そして命の移ろい」を感じ取ってきました。秋分の日を祝日とする日本独特の文化にも、大切にしてきたその歴史をうかがい知れます。 仏教で「彼岸」とは、さとりの世界「お浄土」を表す言葉です。私たちが生きている迷いの世界は「此岸(しがん)」ですから、先に「彼岸」「お浄土」に往かれた亡き人を通して「お浄土の世界にであう」というご縁を「彼岸会」と呼ぶわけです。 浄土真宗では、この期間に特別な修行・供養をすることはありません。先立たれた方をしのぶ心を通して、いのちのつながりをいただきながら、共に仏さまに包まれている身であることを確かめる。その気づきこそに、お彼岸をいただく大切な意味があります。合掌【了】
仏さまはどこに? · 2025/08/23
お盆休みは、親戚や昔の友人と再会する機会が多いでしょう。「久しぶり!元気にしていたか!」と、顔を合わせ、声を交わし、思い出話に花が咲く時間は、心の奥底から温まるように感じるものです。 さて、仏さまのはたらきとは、人と人とをつなぎ、支え合ういのちを知らせてくださることです。親しい人と会える喜びの陰には、ご先祖さまをはじめ、はかりしれないご縁、そして「いのち輝け!」と、私を生かそうとはたらく不可思議な力を感じいられずにはおれません。 再会の場は、ただ懐かしさを味わうだけでなく、たまたまめぐりあえたという私が思いはかることのできないご縁を無意識のままに自然と気づかせていただく場なのです。 仏さまはどこでもいつでも私たちのそばにいらっしゃるのではないでしょうか。合掌【了】
仏事の豆知識 · 2025/08/18
真宗大谷派では、お線香を立てずに横に寝かせて用います。「なぜでしょう」と尋ねられることがあります。これには明確な答えというものはありませんが、諸説をご紹介いたします。 1つは、お線香の香りがどの方向にも等しく広がることに、すべてのものを選ばず嫌わず見捨てることのない阿弥陀仏の大悲、平等さを重ねています。  そして、もう1つの由来がお線香の歴史にあります。もともと日本に伝わったお香は粉状で、香炉に盛って用いるものでした。やがて扱いやすいように棒状に固められ「線香」と呼ばれるようになりましたが、その使い方は粉状のお香を横に敷く形の名残をとどめているのです。 ですから、真宗の作法は単に特別な流儀というよりも、古来の香のあり方を受け継いでいるともいえます。1本のお線香に、香りの広がりと歴史の重なりを思うとき、私たちは仏法に包まれて生きる自らの姿をしみじみと味わうことができるでしょう。 香りは仏さまの世界を表現するお飾りの1つなのです。合掌【了】
仏事解説 · 2025/08/16
お内仏に荘厳されるお花のことを「仏花」と申します。四季折々の花は、色も形も香りもそれぞれに異なりながら、やがて散り、枯れてゆく定めを持っています。そのはかなさを嫌うのではなく、むしろ「移ろいゆく命」の姿を花は私たちに示してくれています。だからこそ、仏花は仏さまや亡き人へ差し向ける供養というよりも、私たち人間の命を映す鏡といえるでしょう。真宗大谷派では、特別に豪華な花を求める必要はありません。どんな小さな花、例えば庭に咲くお花でも良いのです。お花の移ろいゆく姿を見、手を合わせることにこそ大事な意味があります。お花の姿を通して、阿弥陀仏の大悲に包まれたこの命の尊さを感じ、同時に「必ず散ってゆく命」であることを忘れずにいたいものです。仏花は、私たちに「今ここに生かされている」事実を静かに告げる仏さま(亡き人)からのメッセージではないでしょうか。合掌【了】
仏事の豆知識 · 2025/08/14
仏さまに限らず、食べ物やお花を「お供え」するということは馴染み深いことでしょう。その「お供え」とは私から他に差し向けることだと言えます。 しかし、浄土真宗では、仏さまに御仏飯をさしあげるとき「備(そな)える」と表現することがあります。「備え」には、予備、備品、災害に備えるといった意味から連想される通り、前もってそなえる、自分自身の心持ちと行動がそこにあると言えるでしょう。 故人様、そして仏さまへ私が「お供え」する際、自分自身は静かに手を合わせる準備がととのっているでしょうか。どうしても、お供え物自体に目がいきがちですが、実は自分自身の備えこそが大事なのではないしょうか。そして、その自分自身の備えがあってこそ、はじめて故人様と仏さまへの「お供え」となるのではないでしょうか。合掌【了】
仏事解説 · 2025/08/13
初盆(新盆とも呼びます)とは、故人が亡くなられてから初めて迎えるお盆のことです。お盆はご先祖や亡き人をご縁とした大切な仏縁です。 奈良では、古くからお盆(8月)にお墓参りをする風習が深く根づいており、古都ならではの静けさと温もりの中で大事に勤まります。奈良では「そうめん」や地元の野菜をお備えするご家庭も多いです。 また、お寺の本堂では「盂蘭盆会」という法要が勤まり、多くの方がお焼香に訪れます。 真宗大谷派では、初盆を特別な儀礼として供養するというよりも、お盆そのものを仏法聴聞のご縁として受け止めます。 亡き方は阿弥陀如来の大悲に抱かれて浄土に往生され、そのお心は今、私たちを仏法に導くはたらきとなってくださっています。お盆は、その導きに気づかされる場です。 ですから、真宗大谷派の初盆のお参りでは、「○○さんのために」ではなく、「○○さんに遇(あ)わされて、私が仏法を聞く」ことが根本にあります。 初盆は家族や親族が集まる貴重な機会です。お内仏やお墓の前で、亡き方の歩みやご縁を語り合うことも、大きな意味を持ちます。合掌【了】