奈良 教行寺の由緒


 教行寺は、奈良市油阪町にある浄土真宗 真宗大谷派の寺院です。蓮如上人とのご縁を伝える由緒、1653年の改宗、本堂や鐘楼の歩みなど、今日まで護持されてきた歴史をご紹介いたします。寺の歴史を通して、教行寺が大切にしてきた願いとご縁をご覧ください。

 

油阪大通りに面した教行寺の石碑。

 当院、天台宗比叡山延暦寺の末寺なりしところ、応永二十四年〔1417年〕、当院檀家の阪口仲兵衛の祖先道誓の娘、蓮如上人様御幼少の時、御入母として常随昵近()※①、御養育申し上げられ、その後、蓮如上人様、たびたび同家へ御入有りし。

 その御因縁に依り、道誓、真宗を帰依し奉り、承応二年〔1653年〕、天台宗より真宗に改宗。京都府紀伊郡伏見町〔現京都市伏見区京町本浄寺〕より玄阿を迎え、当院中興第一世の住職となれり。

 その当時、蓮如上人様より上人御真筆の六字御名号と当院奉安の御本尊阿弥陀如来様の御尊像一体(源信僧都御制作と云い伝う乾漆製※②)を拝受代々寺宝として常随御給仕申し上げ、(以来、当院第十五代 釋慧正の代に至れり。昭和五十一年八月吉日。これ当院の由緒なり。

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※①じょうずいじっきん。常におそばにつかえるの意。

※②御伝えの真偽不詳。

油阪町の教行寺50年前の様子。
旧庫裡(写真左側)と鐘楼堂建立時の様子(写真右側)

   山門右手の鐘楼は、教行寺第十五代 大徳院 釋 慧正によって昭和57年10月10日に建立された。その後、一部修繕を行い現在に至る。

 鐘には南無阿弥陀仏の御名号が彫られており、京都 若澤徹誠の御制作とある。

奈良駅から徒歩5分、駅近の鐘。
梵鐘

年越しの際は、どなた様でも除夜の鐘撞きをしていただけますので是非お立ち寄りください。

除夜の鐘、近鉄奈良、JR奈良、奈良公園、春日大社、初詣


本堂の耐震補強(2009年)


〜新聞に掲載されました〜

 たった一ヶ月で、築百年の木造本堂の耐震化を図ったお寺がある。しかも「新工法を使ったせいか、工事前と全く見た目が変わらない」と寺檀に好評だ。

 お寺は奈良の中心部に建つ奈良市油阪町の真宗大谷派 教行寺。昨年6月、第十七世 佐々木浄麿先住職(当時 78歳)は長年の懸案だった本堂の耐震化を総代たちにはかり、快く了承を得た。さっそく設計者を探すこととなり、様々に当たったすえに設計を依頼したのは、比叡山延暦寺横川中堂復元や総本山智積院金堂新築など寺院建築など寺院建築に実績をもつ一級建築士の天野正樹氏(寺社企画)だった。

 

 入り母屋造り本瓦葺きの木造本堂の耐震工事。工事に先立ち、本堂を調べたところ、建物全体が前傾していることが分かった。また、基礎部分の礎石は、補足的にセメントで固めてあるだけなのが分かった。そこで採用したのが、天野氏が工案した「四天王」という耐震工法だ。鉄骨のハシゴ型の耐震フレームを建物の四隅に床下から天井まではめ込むことで建物全体をがっちりと固めるというものである。ハシゴの中央部部が開いているので窓や襖などを潰す必要がない。使い勝手を変えず、耐震化できるわけだ。文化財指定を受けたお寺でも、本体を傷つけることなく工事ができるそうだ。

 工程を辿ると、まず床下にダブルの鉄筋を敷説。そこにフレームを設置し足元をアンカーボルトで固定した後、全面にコンクリートを流し込み、ベタ基礎に施工。フレーム頭頂部は火打ち梁でつなぐ。小屋裏部分には地震時の水平のねじれを吸収するため、ステンレスワイヤーを米型に取り付けて各フレームと連結する壁面に出たフレームは古色仕上げを施した化粧板で包み込むので外観は元通りになる。

 

 先坊守の美津子(73)氏は、「東南海地震が近いと言われていますし、倒壊してからは遅いでしょう。思い切って耐震化に踏み切りましたが、これで門徒さんともどもホッとしています」と嬉しそうに話された。

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